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【書評】滝口悠生『死んでいない者』 第154回芥川賞受賞作!

更新:2017年5月25日
著者:滝口悠生(たきぐち ゆうしょう) 『死んでいない者』文藝春秋社 第154回芥川賞受賞作 初出:文學界12月号 レビュー・感想・あらすじ

ひ孫までいる、大往生を遂げた男の通夜に集まった30人余りの親戚一同。故人の兄弟、息子・娘それぞれの家族、故人の幼馴染み。死者を悼むという同じ目的の場に会しながら、それぞれが共有し得ない日常と価値観を内包する様を、非日常という舞台で紡ぎ出し、滝口氏らしいリズムのある文体で描いた作品だ。

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儀式の共有と、内面の共有の対比

故人を悼むという同じ目的で、一堂に会する親戚一同。しかし普段は、それぞれ別々のコミュニティでの生活があり、異なる価値観を持ち、故人を悼むため集まってはいるものの、故人への思い、関係の深さは、外見の立場だけでは推し量れない。

そして、親戚が多ければ多いほど、故人とはどういう関係で、どこの誰か?何をしている人だったか?改めて聞くのも憚られたり、当たり障りのない会話で済ますことも多い。

本作も故人の5人の子から派生し、その孫の家族やひ孫の世代、そしてその配偶者といった義理の関係まで登場するため、この様なシーンが多く出てくる。

また、親戚の間で醸成されていく「あの人は、立派な肩書き・経歴があり立派な人だ」「あいつは、不義理ばかりして本当にダメなヤツだ」と言った、良くも悪くも世間一般の常識に照らし合わせたレッテル貼りも、よくあることだ。

本作では、中学生の頃から、いわゆる「引きこもり」になり、高校を卒業すると突然祖父である故人の家の倉庫を改装し、同居を始めた孫と、若い頃から暴力的で、定職に就けず、金遣いが荒く、親戚に金の無心をし、妻とも離婚し、自身も蒸発してしまい残された2人のひ孫が登場する。

「引きこもり」の孫は、イジメ等あった訳でもなく、勉強も出来、中学に通学しなくなっても、大勢の友人が家に集まり活動的で、高校に進学すると休まず通学をしたという、世間一般のイメージとは違い、本人に戸惑い罪悪感もなく、親や妹は理解があるが、親戚からは、不可思議な引きこもりという判を捺されている。

そして、父親が蒸発し、祖父母の元で生活を始めながらも元気に思春期を過ごす2人のひ孫兄弟には「辛い生活を余儀なくされながら、いつも明るい姿を見せる健気な兄弟」というレッテルが貼られるが、本人は別に辛い思いをしている訳ではなく、環境が変わった新生活を楽しんでもいる。

その他、参列した者それぞれが色々な思い、事情を持って日常生活を送る様を、通夜という非日常を通して、傍から見れば平凡な様を上手く対比させ、読む者はそれぞれの内心を共有していることに気付かされる。

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作品に奥深さを与える描写力

様々な視点からの語り口で、物語は進行しており、たまに未来からの視点があったりと目まぐるしく変わり、読む者も誰が誰だか戸惑うが、これはおそらく作者の意図するものであろう。

幼馴染みが登場するシーンでは、現実か非現実か、故人と共に思い出話を追想するなど、生と死の境界が曖昧になる。

この幼馴染みが登場するシーンは著者が敢えて本作を「死んでいない者」という題名にした象徴的なものであり、一種幻想的とも言え「生と死の境界の曖昧さ」は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を想起させる。

また、ラスト近くで、ある有名な歌謡曲を、孫達がこれまた有名な歌謡曲と勘違いするシーンがあり、他の多くの追想シーンと共に記憶の曖昧さのメタファー、この物語に通底する核心に迫っていることに気付かされるのだ。

通夜の晩を背景に、それぞれの登場人物の内面を丁寧に奥深く描写する滝口氏の筆力は「芥川賞受賞」に相応しく、今後の作品では、どう楽しませてくれるのか?大いに期待が出来そうだ。

滝口悠生 既刊


※2月10日発売「文藝春秋 2016年3月号」にて、本作と同時受賞作、本谷有希子著「異類婚姻譚」の全文及び、選考委員全員の選評が掲載されています。



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