戦国時代の梟雄「松永久秀」を弟分で後に義弟となる右筆が、
「松永弾正一代記」として、書き記す形を取った作品。
権謀術数を巡らし、裏切りを繰り返し、神仏をも恐れぬ
悪逆非道の限りを尽くしたとされる「松永久秀」だが、
花村萬月氏は作品を通してその「善悪」の判断の根拠、価値観、
常識とはなんぞや?と、徹底的に問いかけてくる。
冒頭から「松永久秀」を、こういう形で書いてきたか!と、
花村氏の発想に感嘆した。
久秀と弟分の会話は「現代調」であり、京都なのか奈良なのか?
いわゆる「関西弁」での掛け合い漫才の様に面白おかしく描かれていく。
久秀は、時の将軍、管領、三好氏といった権力者を陰で操り、
女好き、吝嗇家でもあり、当時流行した茶の湯でも名を成す、
数奇者でもあるのだが、金や権力、当時高騰した茶道具といったものに対し、
どこか冷めた目で見ていて、決して自らが表に出ようとはしない。
武張って、貪欲に天下を取り権力者になろうとする者を、
馬鹿にしている節もある。
そして、数奇者でありながら「茶道具」を「無価値」とも断じてもいる。
こういった自分自身に内在する「自己矛盾」を、唯一信頼する
弟分には自虐的、冷笑的に吐露していきながら話は進んでいくのだが…
余り書きすぎると、これから読む人の楽しみを奪ってしまい、
松永弾正に「お前、無粋やねん。ほんま解ってへんわ。いっぺん斬ったろか?」と
言われてしまいそうなので、この辺で留め置くことにする。