最終更新:2016年10月6日
『若冲』 著者:澤田瞳子 出版:文藝春秋 第153回(平成27年上期)直木賞候補作品!
「奇才の絵師」伊藤若冲。ひたすら「真実の美」を追求した若冲を突き動かした義弟、家族との相克。若冲の長き葛藤を見事に描き切った作者渾身の力作!
観る者を圧倒する美しさと奇抜な構図、表現方法の絵画を多数残した伊藤若冲。美しきものはやがて衰え死に至る。若冲はその長い人生で、表面上の美しさだけではない「美の本質」を追求し続けた。江戸中期、京・錦小路の青物問屋「枡源」の主人でありながら家督を弟に譲り、絵画に没頭する隠遁生活を送る。家族・親戚とも距離を置き、家族からは疎まれ、特に嫁入りしてすぐに自死した亡き妻を巡る人間関係、若冲への恨みを剥き出しに若冲の贋作を描き続ける義弟、市川君圭との相克、亡き妻への思いに懊悩しながら描画に没頭する姿を描きながらも、若冲のその絵画の細部に至る描写までまるで眼前に迫り来るような筆致で見事に文章で表現している。
あらすじ
伊藤若冲こと枡屋(伊藤)源左衛門は、京・錦小路の青物問屋「枡源」の跡取りとして生を受けるが、23歳の時に父を亡くし家督を継ぐが「枡源」の商いは2人の弟の任せきりで、人と会うことも嫌い、世事にも興味を示さず自室に籠もり、ひたすら絵を描くことに耽溺する生活を送る。
嫁取りをすれば少しは家業に目を向けるとの親戚一同の目論見により、枡源四代目である源左衛門は近江醒ヶ井の豪農の娘、お三輪を嫁に迎えるが、主人無き「枡源」を取り仕切る母お清にいびられ、慣れぬ京の老舗問屋での立ち居振る舞いにも慣れることが出来ず、頼りの夫源左衛門(若冲)は自室に籠もったまま。
しかも、義母お清は商いを顧みず絵に没頭する生活を送る源左衛門を正業に導けないお志乃をその事でも奉公人の居る前で罵詈雑言を浴びせる日々。
進退窮まったお志乃は実家から末弟の弁蔵(後の市川君圭)を呼び寄せ「枡源」で働くことになる。
しかしお三輪はある日、店の土蔵で首を括って自死をする。それを最初に見付けたのはお三輪の実弟弁蔵であった。
弁蔵は姉を死に追いやった「枡源」を恨み、妻を顧みることをしなかった源左衛門(若冲)を憎み、店を飛び出した。
物語は若冲とは年の離れた腹違いの妹であり、こちらも庶子であるが故「枡源」から疎まれるお志乃の目を通して進んでいく。
お三輪亡き後、敢えて自死した土蔵が見える部屋に籠もる若冲。
当時醜いものは隠し、美しいものだけを描写するのが主流であった絵画の世界で、穴の開いた糸瓜(へちま)の葉や茶色く枯れた茎の上を這う蝸牛(かたつむり)を描く兄若冲の描く絵に、お志乃はうすら寒さと亡き妻への兄の思いを感じざるを得ない。
若冲は生来の人嫌いではあったが、当時京で名を馳せていた池大雅とだけは息が合い、これまで趣味の域を決して出なかった自分の絵画を注文画として売り、生業にしていく。
そしてある日、若冲は自分の絵画にそっくりの絵に出会う。そこには「若冲居士」の印まで捺されている。
当時、著名画家の贋作は世に出回っていたが、それは飽くまで本物を持てぬ者を満足させるものであり、落款には明らかに贋作と分かる細工を施す仁義があった。
しかし、その絵の腕前は確かであり、贋作を描かずともひとりの絵師として充分に世に認められる作品だ。
これこそがあの亡き妻の弟、弁蔵改め市川君圭が描いた「若冲」の贋作であった…。
■総評
伊藤若冲は85歳まで生きた長寿の人であり、その長い人生に於いて多数の作品を残した。
江戸中期の当時は多数の著名絵師と共に「花鳥画」の権威として「平安人物誌」にも掲載されるほどの知名度もあった。
しかし明治期以降、若冲は長く忘れられた存在となり、その評価も決して高いものではなかった。
「若冲」の名が世間に再び認知される様になったのは近年のことであり、特に1990年以降その超絶技巧と奇抜な構成は高い評価を受けている。
今回、作者の澤田瞳子氏は、その奇抜な構成の裏にある若冲の心の深淵にある懊悩、若冲を超絶技巧の絵師とまで突き動かした義弟、市川君圭との相克、衝動といった若冲の心奥を見事に小説作品として完成させた。
史実とされる部分とは異なる部分もあるものの「生あるものには必ず死がある」「だからこそ、そこに美はある」といった様な若冲の死生観と美的感覚は、なぜ生まれたのか?と言った作風の背景は、亡き妻を救えなかったことを悔い、自分を責め苦悩した若冲を描くことによって、より鮮明なものとして読む者に迫って来る。
若冲が長い人生に於いて、多数の魂の籠もった作品を残した、その原動力となったものは市川君圭との相克であり、その相克の理由となったものは何なのか?という澤田氏の内面の心理描写の巧みさが実際の「若冲」の絵画作品と本作「若冲」に深みをもたらしている。
徹底的に史料を読み込み、若冲が長きに渡って苦しみ、その苦しみを自身の絵画に投影し、芸術とは何か?家族とは何か?人間関係に愛憎とは何か?というテーマまで本作を昇華させたのは、澤田瞳子氏の筆力の成せる技であろう。
本作は歴史小説、美術小説の体を成しつつも、何より「人間 伊藤若冲」を描いており、その内面描写は現代にも変わらず通ずるものだ。
そういう意味では近年出版され歴史上の「絵師」を描いて人気を集めている山本兼一氏『花鳥の夢』 安部龍太郎氏『等伯』にも全く引けを取らない素晴らしい作品である。
(伊藤若冲 生誕300年記念美術展 若冲関連書籍紹介記事)
h-idayu.hateblo.jp
(若冲作品画集関係)
(澤田瞳子氏作品)
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